Conscience of MAGAZINE Weblog & HOMEPAGE Search

宇宙戦艦ヤマト19742012年12月10日 21:13


時に西暦1974年、毎週日曜の夜7時30分にテレビアニメーション「宇宙戦艦ヤマト」が放映されました。
世間では、「再放送」で評価が高まり人気が出たと言われていますが……
実のところ、私の見聞きする範囲では皆、最初の放映当初から観ていたのです。

私の住んでいた南大阪の某所では、放映前に
「今度、あの松本零士がアニメを造るらしい!」
などと前評判が高まっており、小中学のテレビッコたち(当時はオタクと言う言葉は無い)は皆ヤマトを観ていたのです。
私も幼い頃ですが、最初から観てました。
当時は既に松本零士先生は「戦場まんがシリーズ」などで名を馳せており、最初から精密なメカ描写を期待されたのです。
その後1回引っ越したり、クラス替えや進学をしても、近所やクラスの友達らは、ほとんど観ていたと言うのです。

なぜ私の先輩らは前評判を知っていたのかが、当時幼かった私には謎でしたが、このたび「宇宙戦艦ヤマト2199」の出渕裕監督によると
「番組の存在は知ってて「テレビランド」でチェックはしていた」
との事。
ようやく謎がとけました。
他の地方はどうったのかなあ?

しかし、謎はまだあります。
結構多くの子供らが本放送の頃から観ていたのに、どーして視聴率がイマイチだったのか?再放送で人気が高まったのも、本放送からのファンがついていたからのハズです。

さて、この1974年版のヤマトは、今更言うのも何ですが、ホントに画期的な作品だったのです。ヤマト以前とヤマト以後の作品はスッカリ違います。
あの宮崎駿監督ですら
「オレが造ったら、もっと面白くなる」
と嫉妬した作品です。(面白くはなるでしょうが、全くベツモノになった事でしょう。)

当時は絵空事であったSFに一挙にリアリティを持たせた画期的な作品であったワケです。
既にアチコチで言われている様にメカ描写やら設定やら、作画レベルから音楽、音響、演出まで、全てに抜きん出ていたわけです。
もちろん、後発作品はヤマトを越えるために造られたわけなので、今の人々が観たらツライでしょう。
しかし、この作品で初めて「外宇宙」を描き、その遠大さを表現したのです。
沖田十三艦長が乗組員を統率し、スケジュールをたて、それを遂行する話など、今でもコレに追随する話などありません。
全員が覚悟を持ったプロの戦闘集団。だから底知れぬ怖さと迫力を持っておる作品だったワケです。

てなワケで、第一話の沖田十三艦長。

宇宙戦艦ヤマト艦長沖田十三

この絵を描いている最中にペンタブの調子が悪くなりました。壊れたかなあ?
予備の古いペンタブで仕上げましたが、今となっては古いペンタブは使いにくい……。

で、ヤマト2199の話は、また今度。

追記
どうやら、ペンタブのペン先が壊れたようです。芯を変えてもダメですが、反対側の消しゴム機能は稼動しました。
ペンだけ買い替えようっと。
どうも沖田艦長を劇画調に描こうとして壊してしまった様です。
しかし、Photoshopでは線の強弱がつけにくく劇画には不向きですな。この絵は迫力不足。線を修正するかも。
劇画の線は従来通りに紙にペン画で描く必要がありますね。
SAIはどうやろ?