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「かぐや姫の物語」を観ました。2013年12月16日 20:25

感想なのでネタバレ全開です。
鉛筆のタッチを活かした動画を目当てで行ったのですが、予想以上に面白かったのです。ジブリ時代の高畑勲作品としては一番気に入りました。
近年観たアニメの中では、ガールズ&パンツァーの次に良かったかも。
劇場の客層は、ほとんど女性客でイッパイ。キモオタ男が入って無くて良かった。

ストーリーは宣伝や他の感想ブログなどに書かれている通り、原作の竹取物語ほぼそのまんまでディティールアップした作品なのですが、ハッキリ言って原作の竹取物語は読んだ事無いです(笑)。せいぜい幼少期に子供向けの書物で読んだきりです。
そこで先ほど岩波文庫の「竹取物語」(板倉篤義校訂)を買って来ました。古文です。まだ最初しか読んで無いのですが、薄い単行本で、しかもフリガナや欄外に脚注がついていて1頁あたり本文が少なく、全編47頁しか無い短い物語です。
その中で有名なかぐや姫誕生から成長のエピソードはわずか2頁足らず。他は後の5人の貴公子と御門の求婚のエピソードがホトンドです。このアニメでは、たった2頁足らずのエピソードを膨らませた訳でスワ。
まあ、ハッキリ言って「アルプスの少女ハイジ」の日本版です。オリジナルの追加エピソードは、田舎で産まれ育ったかぐや姫。成長が異常に早かったため田舎の子供達に「タケノコ」と呼ばれますが、それが気に入っており、子供達と一緒に遊んだりします。ガキ大将の捨丸がペーターっぽいのですが、実はアルムおんじに近いです。捨丸は少年と言うよりも中学生くらい?
で、かぐや姫は翁と媼と一緒に都に引っ越すのですが、都会に馴染めないと言う、まんまハイジ的展開です。
翁は月世界から大量の砂金を貰って金持ちになるのですが、かぐや姫の為に資金運用します。山の竹細工職人なのにヤタラと財テクに長けているらしく、都に結構な邸宅を購入して、ロッテンマイヤーさんや女童(めのわらわ)を雇ったりしています。年齢が70歳らしく、当時としては相当の高齢者のはず。色々と財テクに長けているのでしょう。

原作でもアニメでも翁は
「野山に交じりて竹をとりつつ よろづの事につかいけり」
と言われますが、原作では別に山の中に居住しているわけでも無さそうで住所不明です。原作では本名「さかきの造(みやつこ)」との事ですが、コレが地名なのか不明です。でもWikipediaなんかを観ると、元々翁は山中に暮している訳でも無さそうなイラスト(佐広通、土佐広澄・画)がありますね。
平安時代(原作の漢文版は奈良時代かも知れないのですが)の京の都は、都会と言っても近所に山がありますので、翁が元々都に住んでいてもオカシクは無いのですよねえ。財テクで豪邸に引っ越したのは有り得ますが。

でもまあ翁が都会人では面白くないので、田舎の山の竹細工職人にしたのでしょう。
んで、アニメの前半ミドコロ。タケノコの成長具合が、結構色っぽいのですよ。深夜アニメなら萌えビジュアルの見せ所になる場面です。コレで客をつかみます。
タケノコは急激に成長してしまいますので、心が幼いまんまで身体が大きくなっちゃいます。で、結構な美人さんで、財テクも成功したので都に引っ越すとタチマチ評判。5人の貴公子が求婚します。んで、かぐや姫を変な宝物に例えてチヤホヤしますが、かぐや姫は、
「ではその宝物をマジで持って来なさいな」
と言う意味の無理難題を吹っかけます。コレは原作ほぼそのまんまのようです。原作ではかぐや姫誕生よりも、変な宝物のエピソードに力点が置かれています。
アニメではギャグっぽくなります。宮崎駿のギャグは分かり易いドタバタですが、高畑勲のギャグは、チョイとした仕草や演技を絵で描き、ネタは所謂「あるあるネタ」。これは地味で難しい。
で、変な5つの宝物はインチキ迷信なのですが、ある意味リアルです。かぐや姫の存在やエピソードはファンタジーなのに、他の宝物はリアルなインチキ。この対比はナニか?
「魁!!男塾」の様なホラ話と開き直っているわけか?
それともかぐや姫のエピソードと対比させて、ファンタジーにリアリズムを与えようとする意図があるのか?
アニメでは、ファンタジーと対比させてリアリティを与えている様に思えます。

んで、5人の貴公子と、その後に出て来る御門。彼らのスケベ心が巧く描写されているわけです。
これではかぐや姫も嫌がるよ。

かぐや姫は都から逃げ出したりしますが、偶然、捨丸と山中で再会します。都でも1度再会してますが、コノ時は捨丸はカッパライを働きボコられてます。それでもかぐや姫は捨丸と山で暮したいとか言いまして、ファンタジー世界に浸るわけです。この時実は捨丸は妻帯者になっているのですが、どうも不倫を暗喩しているフシもあるわけで。いやいや、無いか?
とまあ、色々と色っぽい訳ですよ。

んで、ラストのかぐや姫の月帰還。ここがシュール。平安時代の絵巻物をほぼそのまんま再現したキャラクター集団が異様に陽気な雅楽を奏でて登場するわけで。
本気でコレ描いたら、異様で面白い。しかしアニメーターさんらや仕上げスタッフやら、現場は大変やで。めっっちゃシンドイ作画。こりゃ公開日が遅れるわ。


都の人々に慕われているアイドルであるかぐや姫は、大勢の武士も雇われ月帰還を妨害しようと企てられますが、月面人の超能力は凄まじくもシュールで弓矢も全く効かず。かくや姫は催眠術にかかった様に月面人に引き寄せられます。
しかし、女童が連れて来た素朴な子供連中を観た時、
「やっぱり地球に残ろかなあ!」
っとなるワケでスワ。
かぐや姫の心情を一番汲んでいたのは女童やってんなあ。
でもまあ月に帰還します。

原作では後日談の富士山のエピソードがありますが、ココは割愛されてます。

ビジュアルで、平安時代のお歯黒や眉を抜いたりするのは、どう処理するのか?と思っていたのですが、巧く対処してます。かぐや姫は現代的な美人として描かれています。

しかしこの話では、もし元々都会に住んでいたら、こう言う話にならないなあとも思いました。
また、京の都と言っても結構近所に山があるので、あそこまでホームシックになるか?とも思います。でもまあココはフィクションで。

宮崎駿は「これで泣くのは素人」と言ったらしいですが、客はマジで
「この映画で泣くとは思わへんかったわあ」
と言う人が居ました。
「パタリロが可愛い」
と言う意見も多数あります。

「かぐや姫の物語」女童(めのわらわ)


宮崎駿が竹取物語をアニメにしたら、ラスト代えるね。
まず、捨丸の様なキャラクターは出すでしょう。
ラストは捨丸ら悪ガキ軍団が月面人と対決して、かぐや姫を奪還する筋書きにするのでは無いか?
「そうしないと面白く無い!」
と判断したりして。
特にラピュタを造ってた時の宮崎駿なら、そうしてたかも。

しかし、宮崎駿は「風立ちぬ」では零戦開発物語を避けて、古い日本映画の再現に逃げてしまった。あえて素人の庵野が主役なのも、昔の日本映画は役者もコノ程度だったため。(前も書いたか)生々しさを避けたのだ。
だが、高畑勲はちゃんと「竹取物語」をほぼそのまんまアニメにした。コッチのほうが評価高いな。

つづく

「風立ちぬ」は前衛映画。「ねたばれぬ」2013年08月01日 20:43

宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観た。劇場はほぼ満員。で夏休みにも関わらず子供はチラホラで中高年が多かった。特に高齢者が目立ったのは意外だった。テレビの宣伝の影響が大きいと思われる。
上映後、若い娘から
「棒読みやったなあ、くすくす」
との声。
確かに主役の庵野秀明は棒読みであったが、事前に知ってたので期待もしておらず大して気にならなかった。元々アニメの声優には期待してない。問題は映像だ。
でも、だ。どうやら宮崎駿はワザとヘタな庵野を起用したのだ!
この映画、もしキャリアのあるプロ声優に堀越二郎を演じさせたら、声に感情がこもり過ぎてしまい、演技過剰でシラケてしまう恐れがある!
ヘタな庵野で良かったのだ!
観れば分かるが、内容は坦々とした平板な展開に、所々にインパクトのある飛行機のシーンが「夢」と混ざって入り込む構成になっている。ココにプロ声優が演技過剰な声を当てたら、ソレこそ映画がブチ壊しになった可能性があるのだ。

また、飛行機のシーンはホトンド、堀越の「夢」やイメージとゴチャマゼになったファンタジーになっている。
生々しさを回避したのだ。
物語冒頭の方に関東大震災のシーンもあり、工夫のなされた巧いインパクトのある映像になっているが、コレもあえてリアルな描写は抑えている。
田舎はキレイに描かれているが、
「みどりの多い日本の風土を最大限美しく描きたい。」
との覚え書きではあるが、日本の手付かずの緑はもっと濃い緑だ。黒に近い。それなのに新緑に近い明るい色彩にしている。
リアリティを避けているのだ。
また、言うまでも無く、話題の口三味線による効果音もリアリティを避けるわざだ。もっとも結構こってるけど。

それで、演技の出来ない庵野秀明を主役に据えたのだ。リアリティを避けているのだ。

キャラクターは主役の堀越二郎を含む主要キャラ全員がイヤなヤツでは無く、真面目に仕事をする大正人間と外国人なのだ。本庄や黒川、服部と言った人物は、顔立ちからしてイヤなヤツかと思っていたが、堀越に協力を惜しまない好人物として描かれている。実際にはそんな事も無かろうとは思うが、コレもリアリティを避けているのだ。
勿論、ヒロインの菜穂子は絵に描いた様な薄幸の娘なのに、健気に堀越の嫁になる。おいおい出来過ぎやろう、っとも思うが、コレもリアリティを避けているのだ。

まあ、要するに完全にファンタジー。戦争描写はチョイとだけなのよ。あえて嘘にしている。

もっとも、声優さんはアンマリどうでもよいよな。アニメ雑誌やWEBサイトに声優さんの名前や写真をデカデカとあっても読みとばす。特に声優さんの写真なんてねえ。
アニメの情報は「絵」だけで良い。スタッフインタビューとかもアニメーターや背景スタッフにしてほしい。まあ鈴木Pもテレビの宣伝に顔を出す必要はあるだろうが。アニメの宣伝のためには弁の立つ人が必要と思われるので、鈴木Pがテレビ出演するのも仕方が無いか。
しかし、声優さんは外国で吹き替えしたら、アッチの人に替わってしまうんやし。

で、外国では日本のアニメが内容まで改竄されてしまう事もあるそーで、当初のナウシカも散々なスカ作品に成り下がったらしいし。
と言うワケで、アニメは基本的に台詞無しでも内容が分かってしまう様な
「無声映画」
にするべきである。
単純な内容しかできないのではあるが、どうせ今までの作品でもそうそう難しい内容もあるまい(笑)。
が、「風立ちぬ」は無声映画にするのは難しい。何せ設計者の話なので活劇も無いし。
それでもナントカ台詞に頼らない様に、イメージシーンを多用しておるのでは無いかとも思う。

まあ、わざわざリアリティを避けた前衛映画である訳だ。
戦争描写は前作「ハウルの動く城」で描いている。が、これは精神的に幼いアニメファンには理解し難いようである。

例えば、自衛隊などの話題になった時
「自衛隊の人々が、人殺し好きだと思っているのかー!」
などと幼稚でバカみたいな事を絶叫したヤツも居たし。「ああ、コイツは昔そう思ってたんだなあ。」っと。バカで単純な奴だが、こんな奴は少なくないのかも知れない。
で、まあ国内外に要らぬ誤解を与えない様に、リアリティを排除したファンタジーにしたワケだ。
おそらく昔のNHK「プロジェクトX」みたいな演出にも出来たとも思うが、「今更古臭いな」と言う判断もあったかも知れない。

そいでもって。
庵野の棒読みであるが、大昔の白黒日本映画を観ると、棒読み俳優が多いのよ。
音声技術もマズい事もあるし滑舌も悪く、台詞はナニか聞き取れない事もある。桂文枝が三枝時代に使ったギャグ
「およよ」
も大河内傳次郎の台詞は滑舌が悪く「おのおのがた」の台詞が「およよ」としか聞こえない、と言うのが起源なワケだ。
宮崎駿は昔の白黒日本映画を造りたかったのでは無いか?
飛行シーンと震災シーン以外はカメラは固定させ、ローアングルを多用している。
これは小津安二郎では無いか!
まあ、カット割りは多いのでテンポは速く飽きさせないが、恐らくは小津安二郎を意識した映画では無いか?
「もののけ姫」で黒澤明っぽくして、今度は小津安二郎。
たぶん、そのアタリを狙ったな。


怒りの宮崎駿監督

ちがうか?
「風立ちぬ」の話は、つづく。