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「かぐや姫の物語」原作の破綻ぶりとリアリティ。2013年12月18日 19:46

先に続き感想なのでネタバレ全開です。

先日慌てて買った岩波文庫「竹取物語」(板倉篤義校訂)
板倉篤義による解説では、
「五人の貴公子と御門の人間的な姿を詳しく描く事によって、満月の光の中に昇天していくかぐや姫の、ついにこの世のものならぬ姿を、いよいよ深く読者に印象付けようとする構想」
とか書かれていますが、これはチョイと深読みし過ぎかも知れません。

慣れない古文を読みましたが、コレ、
「かぐや姫が月から来た」
の伏線が無いやん!
御門の求婚のエピソードの後に、とってつけたようにイキナリ
「をのが身はこの國の人にもあらず。月の都の人なり。」
と告白。
作者はラストのアイデアに行き詰まったかまたは奇を衒い過ぎたか唐突なラストシーンを考えついた訳やな!少なくとも書き始めの頃はラストまでの構想を練らずに行き当たりばったりで書いたと思われる。
原作ではアニメと異なり、御門の求婚は3年あまりもの間かぐや姫と御門のヤリトリがあり、少女漫画的展開であるにも関わらず、月面人あたりから急激にSF要素が顕著になる。
もしかしたら途中で作者が交代したか?明らかに作風が変わっている。
その証拠に、冒頭では翁は
「年七十にあまりぬ」
70歳あまりなのに、かぐや姫が月面人であると告白するシーンでは
「翁、今年は五十ばかりなりにけれども」
明らかなる矛盾が出ている。この矛盾は古典ファンなら当たり前に有名らしい。
まあ奈良時代から平安時代初期は紙も貴重品だったと思うので、推敲もせずに思いつきのママにストーリー展開したのであろうか。アイデアのメモ書きが出来なかったのか。波瀾万丈と言えば聞こえは良いが、行き当たりばったりの破綻した話になったと考えられる。
もっとも5人の求婚者のエピソードは、かぐや姫の無理難題と、それに対するオチが落語の様に書かれているので結構チャンとした話。
でもラストの月面人のエピソードと、冒頭の竹から産まれて急成長したエピソードだけ浮いているのよねえ。
てな訳で、原作者はドチラかと言うと、5人の求婚者のエピソードを書きたかったのでは?ここだけノリに乗って書いていたのでは無いか?原作では各々のエピソード毎に言葉の語源にも言及しているが、これは先にも書いた「魁!!男塾」の民明書房の様なギャグやん。落語のオチや。
でもラストの展開にネタが尽きたか?強引に
「私は月から来たのよー」
とまるで「サルでも描けるまんが教室」「とんち番長」そのまんまの展開になってしまったワケである。トンチーマンね。
タイトルも「竹取物語」で「月」「美女」を伺わせる文字は無い。

まあ、他の国内外の昔話も脈略の無い奇妙な話ばかりで、私は幼少の頃から興味無かったのですが、どうも平安時代からネタ切れによる苦し紛れのラスト幕引きは多々あるんですね。

さて、アニメ化の場合、原作を本当に忠実に再現したら、ソレこそ「魁!!男塾」の様なギャグアクションになってしまうので、原作者がアマリ力を入れてなかった生誕から成長のエピソードに力点を入れたのは正解だと思う。巷の子供向け書物も、少女漫画的ビジュアルでココんトコロを売りにしてる。
アニメ版で不満だったトコロも、かぐや姫が月から来た事を告白するシーン。唐突に台詞だけで説明していたので、魅力に欠けて分かりにくいと思ったのですが、謎が解けました。原作がコレでは仕方が無い。冒頭に月面人であるナニか伏線を付けても良かったかも知れませんが、それでは原作から逸脱してしまいます。こりゃ難しい。ホントにSFと割り切って異星人やUFOを冒頭に出しても面白いのですが、話が変わってしまいます。沢口靖子。しかし、伏線が無くとも成立するのは、多くの人が知っていると言う前提にしか成り立たない。原作の時代はメディアも発達してなかったであろうに、こういう唐突な話がウケたのか?
また、アニメを海外で公開した場合は、唐突な展開が強烈に突っ込まれるのでは無いか?

5人の求婚者のエピソードは原作もまるで「トンデモ本の世界」の様に冷めた視点で描かれたリアルな話なので、アニメもチョイと変更しているトコロもありますが、そのまま採用しています。「燕の子安貝」は原作の方が面白いけどチョイ下品なのでアニメには出来ないか。

アニメのオリジナルキャラ捨丸ですが、山に住む漆職人の子です。山の樹を使い切ったらまた別の山に移住するので、かぐや姫が一度ホームシックにかかって山に走り戻ると捨丸たちは住んでませんでした。アニメでは漆器造りの工程がリアルに描かれてて、こういう具合だったのかなあ?と思わせてくれます。
で、岩波文庫「竹取物語」(板倉篤義校訂)を読むと、なぜ漆職人が出て来たのか理由が分かりました。
「龍の頸の玉」のエピソードで、かぐや姫の邸宅が
「うるはしき屋を造り給いて、漆を塗り、まきえにして、かべし給いて」
とまあ漆で壁を装飾したゴージャスな描写があります。解説の板倉篤義は他の証拠もあげて
「原作者は漆職人に関係のある氏族か?」
と推察しています。
そこで、高畑勲監督は漆職人の捨丸を登場させたのでは無いか?と考えられるわけです。原作者の代りに捨丸を登場させたと。
でも漆職人は結構な良い身分だったらしいので、都でカッパライを働くほどの貧乏になるかな?漆器作りのシーンも、結構木材を贅沢に使うし、ハイテクな道具も使うし。貧乏人にできないよ。
原作を読んだ後では、もうちょい違った描写も出来たかなー、っとも思いました。

アニメでリアルで生々しい描写は、かぐや姫の成長。体重や身長が急激に成長するのですが、本人には自覚無く廻りのリアクションで描写されてます。客観的な描写なのでかぐや姫の幼さが際立つんですよねえ。コレが生々しい。川遊びもするのですが、まあ色気あるんですよ。
かぐや姫
養育について原作では描写が無いのですが、アニメでは何と媼が急に授乳できるようになっちゃいます。妙に生々しい。
まあ初潮の話も出て来ますし……
まあ、ここがミドコロです。

捨丸がキジを捕らえるシーンがありますが、ココがアニメのリアルなトコロ。キジは飛ぶのが下手な鳥類なので、追い立てても走る事しか出来ません。樹の枝にとまる事ができる鳥類ですが、別に樹から飛び降りて滑空するワケでも無いので走って速度をつけて離陸する訳です。が人間に追い立てられてアチコチ曲がりくねったらスピードが上がらず飛べません。
科学的に正しいアニメになってます。

ロッテンマイヤーさんがかぐや姫に絵巻物の読み方を教えるシーンがありますが、この教授内容が「十二世紀のアニメーション」そのまんま。もっとも「十二世紀のアニメーション」は買いそびれたので読んで無いのですけどね。

「龍の頸の玉」のエピソードは、もっと原作通りに書いても面白かったかも?
何処かの遠い海の彼方まで「龍の頸の玉」を求めて大阪難波から船出しますが、原作では南方まで行ったか?と思いきや播磨の明石の浜どまり。玉の代りに目玉が腫上がってしまって「あなたへがた」(ああ堪え難い)の語源になった。
って、可哀想やな。
沢口靖子版では、ホントに南海に行って、怪獣が出るらしい……

平安時代の女性なんて、現代からしたら随分と奇妙な出で立ちをしてますよねえ。お歯黒塗ったり眉毛抜いて別に描いたりして。コレをそのまんましたら奇妙なビジュアルになります。
で、かぐや姫は田舎者なので嫌がる訳ですわ。観念してお歯黒塗った後も、なんやかんやで拭き取ってしまいます。
髪型も前髪そろえてますし、現代劇みたいな感じになってますね。
そもそも、お歯黒も江戸時代になると若い女性は敬遠したらしいので、既婚者だけの風習になったとの事ですが、平安時代では貴族は若い頃からやってたとか。
「昔は良かったー」
「伝統が良い」
などとバカな話だ。

原作では、かぐや姫帰還後の富士山のエピソードがあります。かぐや姫は不死の薬品などを残すのですが、翁も御門も女にふられて自暴自棄になったので、駿河の国の天に近い高い山の頂で燃やす事になります。その煙が未だ出て来る。コレを「ふじの山」と名付けられたとか。
どーも富士山は奈良時代や平安時代は煙を出す火山として知られてたようです。
アニメでは途中にチョイとだけ富士山が描かれますが、煙を出す活火山として描かれてました。さりげないリアリズムであります。
しかし奈良時代には既に富士山が日本で一番高い山である事が測量されてたんですかねえ?日本アルプスにも3000m級の山々があると言うのに、観て分かったんかな?

しかしリアリズムが行き過ぎている所もあります。
地球の描写。
あっさりと描かれてますが宇宙船から観た様な球体のリアルな地球が出ちゃいます。
ここはどうかならんかったかなあ。月面人も雅楽を奏でる仏教画の様なキャラクターがピンクの雲に乗って登場するので、地球もそれなりのビジュアルで良かったのでは?
確か古代インドではウロボロスとか言う蛇が周りを巡り、巨大な亀の上に三頭の象が乗っかって、その上に大地が存在する、とか言う極めてシュールな空想がある。検索してみたらWikipediaのアカシックレコードの説明があり、古代インドの空想と西洋のナンヤカンヤがごっちゃに記述されていてワケ分からん。どうも西洋人がデッチアゲタものらしい。
原作では月から地球を見下ろす描写は無く、原作者の発想の限界が見て取れる。
古代日本人の想像力はアカンなあ。日本人は奈良時代から宇宙に対して興味が無かったらしい。

一番重要な点。
挿入歌の「わらべ唄」
「まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
 まわって お日さん 呼んでこい」
とのメロディーから「あんこう音頭」に繋がる!
「アアアン アン アアアン アン
 アアアン アアアン アン アン アン
 あの子 会いたや あの海越えて
 あたまの灯は 愛の証
 燃やして 焦がして ゆーらゆら
 燃やして 焦がして ゆーらゆら」
そのうちMAD動画ができるやろ。

てなワケで散漫な感想文であるのことよ。

「かぐや姫の物語」を観ました。2013年12月16日 20:25

感想なのでネタバレ全開です。
鉛筆のタッチを活かした動画を目当てで行ったのですが、予想以上に面白かったのです。ジブリ時代の高畑勲作品としては一番気に入りました。
近年観たアニメの中では、ガールズ&パンツァーの次に良かったかも。
劇場の客層は、ほとんど女性客でイッパイ。キモオタ男が入って無くて良かった。

ストーリーは宣伝や他の感想ブログなどに書かれている通り、原作の竹取物語ほぼそのまんまでディティールアップした作品なのですが、ハッキリ言って原作の竹取物語は読んだ事無いです(笑)。せいぜい幼少期に子供向けの書物で読んだきりです。
そこで先ほど岩波文庫の「竹取物語」(板倉篤義校訂)を買って来ました。古文です。まだ最初しか読んで無いのですが、薄い単行本で、しかもフリガナや欄外に脚注がついていて1頁あたり本文が少なく、全編47頁しか無い短い物語です。
その中で有名なかぐや姫誕生から成長のエピソードはわずか2頁足らず。他は後の5人の貴公子と御門の求婚のエピソードがホトンドです。このアニメでは、たった2頁足らずのエピソードを膨らませた訳でスワ。
まあ、ハッキリ言って「アルプスの少女ハイジ」の日本版です。オリジナルの追加エピソードは、田舎で産まれ育ったかぐや姫。成長が異常に早かったため田舎の子供達に「タケノコ」と呼ばれますが、それが気に入っており、子供達と一緒に遊んだりします。ガキ大将の捨丸がペーターっぽいのですが、実はアルムおんじに近いです。捨丸は少年と言うよりも中学生くらい?
で、かぐや姫は翁と媼と一緒に都に引っ越すのですが、都会に馴染めないと言う、まんまハイジ的展開です。
翁は月世界から大量の砂金を貰って金持ちになるのですが、かぐや姫の為に資金運用します。山の竹細工職人なのにヤタラと財テクに長けているらしく、都に結構な邸宅を購入して、ロッテンマイヤーさんや女童(めのわらわ)を雇ったりしています。年齢が70歳らしく、当時としては相当の高齢者のはず。色々と財テクに長けているのでしょう。

原作でもアニメでも翁は
「野山に交じりて竹をとりつつ よろづの事につかいけり」
と言われますが、原作では別に山の中に居住しているわけでも無さそうで住所不明です。原作では本名「さかきの造(みやつこ)」との事ですが、コレが地名なのか不明です。でもWikipediaなんかを観ると、元々翁は山中に暮している訳でも無さそうなイラスト(佐広通、土佐広澄・画)がありますね。
平安時代(原作の漢文版は奈良時代かも知れないのですが)の京の都は、都会と言っても近所に山がありますので、翁が元々都に住んでいてもオカシクは無いのですよねえ。財テクで豪邸に引っ越したのは有り得ますが。

でもまあ翁が都会人では面白くないので、田舎の山の竹細工職人にしたのでしょう。
んで、アニメの前半ミドコロ。タケノコの成長具合が、結構色っぽいのですよ。深夜アニメなら萌えビジュアルの見せ所になる場面です。コレで客をつかみます。
タケノコは急激に成長してしまいますので、心が幼いまんまで身体が大きくなっちゃいます。で、結構な美人さんで、財テクも成功したので都に引っ越すとタチマチ評判。5人の貴公子が求婚します。んで、かぐや姫を変な宝物に例えてチヤホヤしますが、かぐや姫は、
「ではその宝物をマジで持って来なさいな」
と言う意味の無理難題を吹っかけます。コレは原作ほぼそのまんまのようです。原作ではかぐや姫誕生よりも、変な宝物のエピソードに力点が置かれています。
アニメではギャグっぽくなります。宮崎駿のギャグは分かり易いドタバタですが、高畑勲のギャグは、チョイとした仕草や演技を絵で描き、ネタは所謂「あるあるネタ」。これは地味で難しい。
で、変な5つの宝物はインチキ迷信なのですが、ある意味リアルです。かぐや姫の存在やエピソードはファンタジーなのに、他の宝物はリアルなインチキ。この対比はナニか?
「魁!!男塾」の様なホラ話と開き直っているわけか?
それともかぐや姫のエピソードと対比させて、ファンタジーにリアリズムを与えようとする意図があるのか?
アニメでは、ファンタジーと対比させてリアリティを与えている様に思えます。

んで、5人の貴公子と、その後に出て来る御門。彼らのスケベ心が巧く描写されているわけです。
これではかぐや姫も嫌がるよ。

かぐや姫は都から逃げ出したりしますが、偶然、捨丸と山中で再会します。都でも1度再会してますが、コノ時は捨丸はカッパライを働きボコられてます。それでもかぐや姫は捨丸と山で暮したいとか言いまして、ファンタジー世界に浸るわけです。この時実は捨丸は妻帯者になっているのですが、どうも不倫を暗喩しているフシもあるわけで。いやいや、無いか?
とまあ、色々と色っぽい訳ですよ。

んで、ラストのかぐや姫の月帰還。ここがシュール。平安時代の絵巻物をほぼそのまんま再現したキャラクター集団が異様に陽気な雅楽を奏でて登場するわけで。
本気でコレ描いたら、異様で面白い。しかしアニメーターさんらや仕上げスタッフやら、現場は大変やで。めっっちゃシンドイ作画。こりゃ公開日が遅れるわ。


都の人々に慕われているアイドルであるかぐや姫は、大勢の武士も雇われ月帰還を妨害しようと企てられますが、月面人の超能力は凄まじくもシュールで弓矢も全く効かず。かくや姫は催眠術にかかった様に月面人に引き寄せられます。
しかし、女童が連れて来た素朴な子供連中を観た時、
「やっぱり地球に残ろかなあ!」
っとなるワケでスワ。
かぐや姫の心情を一番汲んでいたのは女童やってんなあ。
でもまあ月に帰還します。

原作では後日談の富士山のエピソードがありますが、ココは割愛されてます。

ビジュアルで、平安時代のお歯黒や眉を抜いたりするのは、どう処理するのか?と思っていたのですが、巧く対処してます。かぐや姫は現代的な美人として描かれています。

しかしこの話では、もし元々都会に住んでいたら、こう言う話にならないなあとも思いました。
また、京の都と言っても結構近所に山があるので、あそこまでホームシックになるか?とも思います。でもまあココはフィクションで。

宮崎駿は「これで泣くのは素人」と言ったらしいですが、客はマジで
「この映画で泣くとは思わへんかったわあ」
と言う人が居ました。
「パタリロが可愛い」
と言う意見も多数あります。

「かぐや姫の物語」女童(めのわらわ)


宮崎駿が竹取物語をアニメにしたら、ラスト代えるね。
まず、捨丸の様なキャラクターは出すでしょう。
ラストは捨丸ら悪ガキ軍団が月面人と対決して、かぐや姫を奪還する筋書きにするのでは無いか?
「そうしないと面白く無い!」
と判断したりして。
特にラピュタを造ってた時の宮崎駿なら、そうしてたかも。

しかし、宮崎駿は「風立ちぬ」では零戦開発物語を避けて、古い日本映画の再現に逃げてしまった。あえて素人の庵野が主役なのも、昔の日本映画は役者もコノ程度だったため。(前も書いたか)生々しさを避けたのだ。
だが、高畑勲はちゃんと「竹取物語」をほぼそのまんまアニメにした。コッチのほうが評価高いな。

つづく